Walking Dead の大ヒットで空前のゾンビブームですが
ゾンビ映画ってなんぞや?みたいな話をしてみようかと。
自分はホラー映画はよく見るんですが、グレイブエンカウンターのような幽霊系はあまり見ないんですよね。
なんででしょうかね?
やはり日本人なので、子供の頃から怪談には馴染みがあるわけで、
子供の頃に染み込んだ恐怖心があるのかもしれません。
観ても特に怖いとかは感じないんですけどね。
幽霊とか霊魂とかまったく信じていないし、リアリティーに欠けるからなのかなと思うけども
それを言うとゾンビや悪魔なんかも同じな訳で、そういう映画は楽しんで観られるけども
幽霊映画は面白く感じないっていうのは
こんなひねくれた大人になる前の純真な子供の頃は幽霊も信じていた訳で
やはりその頃の恐怖心が潜在的にあるからなのかもしれないですね。
そんな訳でホラーはよく観るけども幽霊物はあまり観ない
逆によく観るのはゾンビ物ですが、これは簡単な理由があって
理由は簡単で
昨年のハロウィンの日も電車の中でゾンビメイクの女性グループを何組か見かけたくらいお手軽にメイクできてしまいます(笑)
実際、ジョージ・A・ロメロのヒット作「ゾンビ」もその程度にちょっと傷の特殊メイクをした程度のゾンビがうじゃうじゃ出てきます。
ジョージ・A・ロメロと言えば、言わずと知れたゾンビ映画の神様
なんで神様なのかというと、昨今溢れ返っているゾンビ映画のゾンビのスタイルを確立した人だからだと思います。
両手を前に出してよちよちノタノタと歩き、人間を食う。
噛まれた人間は死んでゾンビになってゾンビが増殖していくというお馴染みのスタイルですね。
ゾンビの語源はブードゥー教にあるようで、ブードゥー教のボコと呼ばれる司祭が
埋められた死体を掘り起こして生き返らせて奴隷として売っていたとか
ゾンビパウダーという生者の傷に塗り込むと死んで奴隷として働き続けるとか
そんな民話が元になっているようです。
ですが、そもそもこの映画のタイトルは「ZOMBIE」ではなく
副題のように小さく書かれている「Dawn of the dead」であり3部作中の「Night of the living dead」に続く
2作目(3作目は「Day of the dead」邦題 死霊のえじき)で
ロメロ自身がブードゥー教の民話からインスピレーションを受けて撮ったのではなく
どちらかというと旧約聖書の中のエジプトの十の災い(エジプト人が奴隷にしていたイスラエル人を開放するためにモーゼが起こした奇跡)や最後の審判(最後の審判の日、今まで死んだ人は全員蘇りイエスの裁きを受ける)のほうだと思います。
国際公開するにあたり、誰か博学な人の進言でZOMBIEというタイトルが付けられたのでしょうね。
いずれにしても今やゾンビといえば、ブードゥー教も聖書も関係なく、ロメロが作り出したイメージ
両手を突き出してよちよちノタノタ歩き、人を食う。噛まれた人はゾンビになるというスタイルが世界中に浸透している訳です。
前記したとおり、ロメロはゾンビを3部作で撮っており、「Night of the living dead」「Dawn of the dead」「Day of the dead」(「死者の夜」「死者の夜明け」「死者の日」)と続いていくんですが
この3部作で一貫してロメロ」が作り上げた世界が全てのゾンビ映画の魅力なのかなーと思います。
・動きが遅く力は強いが明確な弱点もあり、ゾンビ単体なら(銃社会なら)簡単に倒せる
・大群に襲われると最大の恐怖
・ゾンビにほんのちょっとでも傷を付けられたら一巻の終わり
・結局は人間同士が対立して事態が悪化しほぼ全滅する
ゾンビ映画は他のホラー映画と違って、ゾンビ自身が圧倒的な強さで人間を殺しまくる訳ではないんですよね。
例えば古典ホラーの代表ともいえる吸血鬼ならパワーは桁外れだし、超能力も使える。モンスターパニック系も同じ。エクソシストのような悪魔憑きモノも相手が悪魔なので人間がかなう存在ですらない。
ゾンビはそれらに比べたらめっちゃ弱いです。
頭を破壊すれば死んでしまいますし、なんといっても
前出の「Down of the dead」(邦題 死霊のえじき)のリメイク版「Down of the dead」(邦題もドーンオブザデッド)のゾンビは全速力で走ってきます。
動きの速いゾンビはやはり怖いです(笑)
28日後という映画のゾンビも全速力で追いかけてきますね。
こんな感じでロメロが作り出したゾンビのイメージを下敷きにして、矛盾点や疑問点、どうしたらもっと恐怖を感じるかなど、いろいろな監督たちがいろいろ工夫していろいろなタイプのゾンビが誕生していくわけですね。
※まぎらわしいので邦題を。「Night of the living dead~ナイトオブザリビングデッド」「Dawn of the dead~ゾンビ」「Day of the dead~死霊のえじき」
後にゾンビがリメイクされたときのタイトルが「ドーンオブザデッド」死霊のえじきをリメイクしたタイトルが「デイオブザデッド」
自分はゾンビ映画を大きく分類すると2つのタイプに別れると思っています。
まずはロメロ系というか、ゾンビ映画なんですがゾンビそのものの恐怖よりもゾンビが徘徊する終末の世に生きる人間模様のほうに重点が置かれているもの
「Walking dead」なんかはこっちですね。
逆にゾンビそのものの恐怖とそれを倒す爽快感が主のもの
バイオハザードが代表的ですかね。28週もどちらかというとこっちかな。
前記のほうはとにかくシナリオ重視になるので、シナリオ次第で面白さが変わる。好みも別れる。
ゾンビも必ずしもたくさん出てくる必要はないし、むしろ1人(1匹?)も登場しなくても成り立ってしまう。(例えばどこかに立て籠もっていてゾンビに囲まれてる定でゾンビが実際に映らなくても成り立つ)
スリーデイズボディーなんかはゾンビがほぼ1人ですし。
その代わりといってはなんですが、ゾンビを出すならしっかり特殊メイクしてないとシラケます。
後記はゾンビが大量なほど面白い。
メイクはざっくりでもいいのでとにかくゾンビを大量に出してアクションパニックホラーのような味付けのほうがいい。
ゾンビ映画ってなんぞや?みたいな話をしてみようかと。
自分はホラー映画はよく見るんですが、グレイブエンカウンターのような幽霊系はあまり見ないんですよね。
なんででしょうかね?
やはり日本人なので、子供の頃から怪談には馴染みがあるわけで、
子供の頃に染み込んだ恐怖心があるのかもしれません。
観ても特に怖いとかは感じないんですけどね。
幽霊とか霊魂とかまったく信じていないし、リアリティーに欠けるからなのかなと思うけども
それを言うとゾンビや悪魔なんかも同じな訳で、そういう映画は楽しんで観られるけども
幽霊映画は面白く感じないっていうのは
こんなひねくれた大人になる前の純真な子供の頃は幽霊も信じていた訳で
やはりその頃の恐怖心が潜在的にあるからなのかもしれないですね。
そんな訳でホラーはよく観るけども幽霊物はあまり観ない
逆によく観るのはゾンビ物ですが、これは簡単な理由があって
ゾンビ映画が非常に多く作られているから
これはWalking Deadがヒットする前から他のホラーに比べてめちゃくちゃ多いです理由は簡単で
低予算で簡単にそれっぽく作れるから
顔をグレーに塗って血糊をちょっと付けるくらいでそれっぽくなりますもんね。昨年のハロウィンの日も電車の中でゾンビメイクの女性グループを何組か見かけたくらいお手軽にメイクできてしまいます(笑)
実際、ジョージ・A・ロメロのヒット作「ゾンビ」もその程度にちょっと傷の特殊メイクをした程度のゾンビがうじゃうじゃ出てきます。
ジョージ・A・ロメロと言えば、言わずと知れたゾンビ映画の神様
なんで神様なのかというと、昨今溢れ返っているゾンビ映画のゾンビのスタイルを確立した人だからだと思います。
噛まれた人間は死んでゾンビになってゾンビが増殖していくというお馴染みのスタイルですね。
ゾンビの語源はブードゥー教にあるようで、ブードゥー教のボコと呼ばれる司祭が
埋められた死体を掘り起こして生き返らせて奴隷として売っていたとか
ゾンビパウダーという生者の傷に塗り込むと死んで奴隷として働き続けるとか
そんな民話が元になっているようです。
ですが、そもそもこの映画のタイトルは「ZOMBIE」ではなく
副題のように小さく書かれている「Dawn of the dead」であり3部作中の「Night of the living dead」に続く
2作目(3作目は「Day of the dead」邦題 死霊のえじき)で
ロメロ自身がブードゥー教の民話からインスピレーションを受けて撮ったのではなく
どちらかというと旧約聖書の中のエジプトの十の災い(エジプト人が奴隷にしていたイスラエル人を開放するためにモーゼが起こした奇跡)や最後の審判(最後の審判の日、今まで死んだ人は全員蘇りイエスの裁きを受ける)のほうだと思います。
国際公開するにあたり、誰か博学な人の進言でZOMBIEというタイトルが付けられたのでしょうね。
いずれにしても今やゾンビといえば、ブードゥー教も聖書も関係なく、ロメロが作り出したイメージ
両手を突き出してよちよちノタノタ歩き、人を食う。噛まれた人はゾンビになるというスタイルが世界中に浸透している訳です。
前記したとおり、ロメロはゾンビを3部作で撮っており、「Night of the living dead」「Dawn of the dead」「Day of the dead」(「死者の夜」「死者の夜明け」「死者の日」)と続いていくんですが
この3部作で一貫してロメロ」が作り上げた世界が全てのゾンビ映画の魅力なのかなーと思います。
・動きが遅く力は強いが明確な弱点もあり、ゾンビ単体なら(銃社会なら)簡単に倒せる
・大群に襲われると最大の恐怖
・ゾンビにほんのちょっとでも傷を付けられたら一巻の終わり
・結局は人間同士が対立して事態が悪化しほぼ全滅する
ゾンビ映画は他のホラー映画と違って、ゾンビ自身が圧倒的な強さで人間を殺しまくる訳ではないんですよね。
例えば古典ホラーの代表ともいえる吸血鬼ならパワーは桁外れだし、超能力も使える。モンスターパニック系も同じ。エクソシストのような悪魔憑きモノも相手が悪魔なので人間がかなう存在ですらない。
ゾンビはそれらに比べたらめっちゃ弱いです。
頭を破壊すれば死んでしまいますし、なんといっても
めちゃくちゃノロい
じゃあ、ノロくなかったら?
実はノロくないゾンビをジョージ・A・ロメロも撮っています。前出の「Down of the dead」(邦題 死霊のえじき)のリメイク版「Down of the dead」(邦題もドーンオブザデッド)のゾンビは全速力で走ってきます。
動きの速いゾンビはやはり怖いです(笑)
28日後という映画のゾンビも全速力で追いかけてきますね。
こんな感じでロメロが作り出したゾンビのイメージを下敷きにして、矛盾点や疑問点、どうしたらもっと恐怖を感じるかなど、いろいろな監督たちがいろいろ工夫していろいろなタイプのゾンビが誕生していくわけですね。
※まぎらわしいので邦題を。「Night of the living dead~ナイトオブザリビングデッド」「Dawn of the dead~ゾンビ」「Day of the dead~死霊のえじき」
後にゾンビがリメイクされたときのタイトルが「ドーンオブザデッド」死霊のえじきをリメイクしたタイトルが「デイオブザデッド」
自分はゾンビ映画を大きく分類すると2つのタイプに別れると思っています。
まずはロメロ系というか、ゾンビ映画なんですがゾンビそのものの恐怖よりもゾンビが徘徊する終末の世に生きる人間模様のほうに重点が置かれているもの
「Walking dead」なんかはこっちですね。
逆にゾンビそのものの恐怖とそれを倒す爽快感が主のもの
バイオハザードが代表的ですかね。28週もどちらかというとこっちかな。
前記のほうはとにかくシナリオ重視になるので、シナリオ次第で面白さが変わる。好みも別れる。
ゾンビも必ずしもたくさん出てくる必要はないし、むしろ1人(1匹?)も登場しなくても成り立ってしまう。(例えばどこかに立て籠もっていてゾンビに囲まれてる定でゾンビが実際に映らなくても成り立つ)
スリーデイズボディーなんかはゾンビがほぼ1人ですし。
その代わりといってはなんですが、ゾンビを出すならしっかり特殊メイクしてないとシラケます。
後記はゾンビが大量なほど面白い。
メイクはざっくりでもいいのでとにかくゾンビを大量に出してアクションパニックホラーのような味付けのほうがいい。
スリーデイズ・ボディー
この綺麗な女性がゾンビになるまでの映画
28日後
今でもカルト的人気を誇るゾンビ映画
続編と続編もどきが何本も・・・
正式な続編は28週後
こんな感じでゾンビ映画もヒューマンドラマ系とパニックアクション系に別れると思います。
ロメロの3部作はどれも「なぜゾンビが出てきたのか?」という所は不明のままです。
自分的にはゾンビ映画はそれで良いと思うんですよね。
だいいち、主人公たちにとってはゾンビに襲われてなんとか生き延びようとしているのに
ゾンビになる原因を探る余裕なんてないはず(笑)
ゾンビの原因なんてバイオハザードのアリスのように根源に立ち向かう強い主人公にしか意味ないと思うんです。
原因を明確にしているのは単純に観客の納得を得るために過ぎない。
観客は「なぜゾンビが?」という疑問は持つはずですから。
ゾンビ発生の原因はいろいろ創られながら、細菌やウイルスという所に落ち着いている感じですが、
今度は細菌やウイルスの感染ということになると逆の矛盾も出てきてしまう。
つまり、噛まれた人間が噛まれたことが原因で死んで蘇るのは感染と言えても、噛まれずに死んだ人間が蘇るのは理由付けが弱くなる。
なにしろ死んでる訳ですから呼吸もしてないし循環器系も機能してない。なのに細菌やウイルスが脳まで達するというのは考えにくいですよね。
この矛盾を「Walking dead」ではみごとに解決してます。
全人類はすでに感染していて、死んだらウォーカーとして蘇る。噛まれたり引掻かれたら死んでしまう
という
ような設定になっています。
ではなぜ人間を襲い食らうのか?
「バタリアン」では理由付けをしています
死んでいるというのは死後硬直などでとても苦しい。脳みそを食らうとその苦しみが少しだけ楽になる。だから脳みそを食らい続ける。
という設定にしてます。
バタリアン以外のゾンビ映画では特に理由付けしていないことが多いですが、おそらくはグール(屍食鬼)のイメージからきてるのではないかと思います。
さて、長々ととめどもなく散文してきましたが、ゾンビ映画とはなにか?
終末の世に翻弄される人間の物語
なのだと思います。
当たり前ですが主人公はゾンビではなく人間。
彼らが終末へと向かう絶大な力に翻弄されながら生きる姿。その物語がゾンビ映画なんだろうなと。
そして大概の場合、人間同士が対立することで悲惨な結果になる。
ゾンビより人間のほうが怖いよねっていう味付けがされて終末に飲み込まれていく
そんな映画だと思います。
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